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モンゴルの文字と文化の危機--宮 紀子 みやノリコ  京都大学人文科学研究所助教 [ユーラシア・東]

 二〇二〇年、世界がコロナ禍対策に気をとられている最中、中国政府は、内モンゴル自治区の全学校に対し、標準中国語による教育を義務化した。幼少期から母語と全く異なる言語体系・表意文字での学習と思考を強制される。その不利益・弊害についての懸念もさることながら、アイデンティテぃや文化の根幹をなす言語と八百年以上の歴史をもつ言語の危機に、ひとびとは反発し、怒りの声をあげている。かつてソビエト連邦も外モンゴルや中央アジアにおいて、こ(パクパ字よりも徹底して)一律に表音のキリル字を使用させたが、かれらの言語までは取り上げていない。
 現在、中国が推進する「一帯一路」政策は、マルコ・ボーロの『百万の書』が描くクビライ時代の再現である。しかしその「戦狼外交」、新疆ウイグル自治区や香港における弾圧はクビライの訓えとは正友対に向っている。
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大モンゴル国の宗主として空前絶後の版図を擁し、富と繁栄をもたらしたクビライ

クビライがジャルリク聖旨をのたまうに「汝ら、我が子係たちよ。久しき後も国民くにたみ‐を束ねたければ、よいか(=我は言おうぞ)かれらの身を捉えることに拘らずかれらの心を掴ツカむなら、かれらの心を掴んでしまえば、かれらの体は何処に営めるも<のか」。要するに、恒久的支配には肉体的拘束ではなく心服させることが肝心、との訓えである。
そもそもモンゴルの王族たちは、チンギス・カンのイェケジャサク大法令を遵守し、特定の宗教・教団に偏重したり、改宗を強制するようなことはしなかった。可能なかぎり、現地の習俗や文化を尊重した。
クビライは、パクハ字を創製して漢語をはじめあらゆる言語を表記できるようにしたが、大モンゴル国の一休性を象徴するアイコンであって(装飾性が勝り速記に不便)、じっさいの文書はモンゴル語の正本のほかに当該地の文字・言語に翻訳した副本を附していた。官吏とその子弟の以外に、モンゴル語学習を奨励することはなかった。

何より、衣食住の確保すなわち経済政策こそが治安維持の鍵だとわかっていた。

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