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原爆投下報告書--奥住喜重/〔ほか〕訳 -- 東方出版 -- 1993 [福島第一原子力発電所事故(2011)]

原爆投下報告書   パンプキンと広島・長崎  米軍資料
奥住喜重/〔ほか〕訳 

原爆投下報告書  _.jpg出版年 1993.9
出版者 東方出版
258p 図版20p

ISBN-13: 978-4885913501


新潟市図書館収蔵 新津館 資料コード  2070010016555 NDC分類(9版) 391.2074

新潟県立図書館収蔵所蔵 資料コード  0010093124079

柏崎市立図書館収蔵 資料コード 2050011205288


内容紹介 日本に原子爆弾を投下することを目的として特設された、米軍第509混成群団の、日本全土に加えた全ての攻撃を報告した文書、「特殊作戦任務報告書」を紹介。原子爆弾投下の実行に至る全過程を記録した米軍直接資料の全訳である。



米20航空軍TwentiethAir Forceによる日本市街地破壊一覧Destructionof Urban Area Targetsにも爆撃市街地の人口が記されている(20)。この人口数は奥住氏等も指摘されているが, 基本的に昭和15年の国勢調査に基づいている(21)。


原爆投下から数十年後に公開された原爆関係の資料の中で,特に目を引くのは原爆開発の過程もさることながら,この509群団が「原爆」投下を想定し,原爆と同じ大きさの「模擬原爆」を使って投下訓練を行っていたという事実である。

この訓練に使われた模擬原爆は,長崎に落とされた通称「ファットマンFATMANJ という原爆と同じ型,同じ重量のもので,黄色く着色されていたことから「パンプキン(かぼちゃ) PUMPKIN爆弾」と呼ばれた。

(2) 原爆投下地の決定 1945 (昭和20)年
  原爆投下候補地は4月27日の目標検討委員会からその選定が始まり,贋島・横j賓・小倉・京都・新潟・長崎が候補に挙がり,最終的に慶島・小倉・長崎となる。また,ティニアン司令部は京都,貴島,小倉,新潟に模擬原爆を投下することも禁じた(29)。
  日本各地に投下された模擬原爆は[表II]の通りである。標的となったのは当然とは言え, 日本の基幹産業・精油所・操車所等である。被弾地の比定地については奥住喜重氏らの詳細な研究がある。

昭和電工鹿瀬工場には連合軍捕虜が280 余人収容されていた。グローブス将軍は捕虜の位置による目標の変更を禁じていた。同僚殺傷の危険性はさほど重要視していないとも思える。

パンプキン爆弾asiabunka42_1-10-14.jpg



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