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ウラルの核惨事 単行本 – 1982;07 [福島第一原子力発電所事故(2011)]

ウラルの核惨事 単行本 – 1982/7
ジョレス A.メドベージェフ (著), 梅林 宏道 (翻訳)
出版社: 技術と人間
サイズ: 19 x 13.6 x 2.4 cm: 286ページ
ISBN-13: 978-4764500242
発売日: 1982/07


出版社: 技術と人間 は2005年廃業なので、入手は 佐々木洋 (監修), 名越陽子 (翻訳)で
ジョレス・メドヴェージェフ、ロイ・メドヴェージェフ選集の2で
現代思潮新社から。
ISBN-13: 978-4329100030
¥ 3,888

新潟市図書館収蔵 中央・ホンポート館 請求/NDC分類(9版) 088

説明
ソ連の反体制作家で市民権剥奪、イギリスで亡命生活を送ったジョレス・メドベージェフが描く地上最大の核事故「ウラルの核惨事」と名付けたこの事故は未だに多くの謎につつまれている。(チェルノブイリ事故後の1989年6月に当時のソ連当局は公式に認め、その原因と影響を詳細にまとめた報告書を同年7月IAEA・国際原子力機関に提出した。)メドベージェフは1976年頃までに公表された諸データーの隠された部分や矛盾点を衝きながらソ連当局のみならず、イギリス、アメリカの国家権力に闘いを挑み、事故につきまとっていた秘密のベールをはがしていく。生態系への取り返しのつかない影響、事故の影響の拡散など「核管理社会」などというものの危さ、人間の思い上がりなどを突き付けてくる、FUKUSHIMAへも続く問題提起の書。

ジョレス・メドヴェージェフ、ロイ・メドヴェージェフ選集の2にはロシア語版を底本とした新訳が、
この核惨事とチェルノブイリ―フクシマを論じた論文のほか、新論稿を増補収録して現代思潮新社からある。
ロイ・メドヴェージェフはジョレスの双子弟で歴史学者


目次

ウラルA210_.jpg第一章 一大センセーション始まる
第二章 センセーションは続く
第三章 ウラルの惨事
第四章 巨大な湖を汚染するーー湖、水草、魚の放射能汚染
第五章 1千万キューリーの汚染ーーウラルの汚染地帯における哺乳類
第六章 惨事はいつ、どこで起こったかーー汚染地帯はチェリャビンスク地域であり、 核惨事の時期は一九五七年秋-冬であることを証明する
第七章 渡り鳥と放射能の国外への拡散――放射性生物群集における鳥類と放射能の国外への拡散
第八章 死滅した土中動物――ウラルの汚染地帯における土壌動物
第九章 森林の様相は一変した――ウラルの汚染地帯における樹木
第一〇章 草原植物の放射線遺伝学――ウラルの汚染地帯における草原植物および放射線遺伝学の研究
第一一章 生き残ったクロレラ――放射線環境における集団遺伝の研究
第一二章 CIA文書は語る――ウラルの核惨事に関するCIA文書
第一三章 核惨事のシナリオ――ウラルの核惨事の原因、一九五七-五八年の出来事を再構成する一試論
専門用語の解説
資料編
文献と注
訳者あとがき


著者
ジョレス・A・メドヴェージェフ 1925年生まれ。生化学・加齢学・政治史研究家。1950年にモスクワのチミリャー ゼフ農科大学在学中に、ルイセンコの横暴を目の当たりに体験。卒業後、同大学 で放射性同位元素を用いた研究をする。1969年に『ルイセンコ学説の興亡』をア メリカで発刊したが、反ソ活動だとの理由でソ連最高会議幹部会決定によりオブ ニンスクの放射線医学研究所分子生物学研究室長を解任される。1973年英国出張 中にソ連国籍を剝奪されるが、以後イギリスに滞在、1990年ソ連国籍回復。主要 著書に『誰が狂人か』(ロイとの共著。邦題『告発する! 狂人は誰か』、三一 書房)『ウラルの核惨事』(技術と人間)、『市場社会の警告』(共著、現代思 潮新社)、『知られざるスターリン』『ソルジェニーツィンとサハロフ』『回想 1925-2010』(ロイとの共著、現代思潮新社)。
梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )は、兵庫県洲本市出身。工学博士。NPO法人ピースデポ代表。
書評より 現代思潮新社刊行の新訳に対して
評者:渋谷 謙次郎(神戸大学教授)
週刊 読書人:2017年8月25日(第3204号)に掲載 Web https://dokushojin.com/article.html?i=1965
福島原発事故に直面した日本の読者は、改めて本書を読んで慄然とせざるを得ないだろう。『ウラルの核惨事』は、一九五七年九月にチェリャビンスク州のクイシュトゥイム近くの秘密閉鎖都市(地図上に載っていない)で起きたプルトニウム製造後の液体放射性廃棄物の地下貯蔵庫の爆発事故を扱ったもので、その甚大な被害や環境汚染からして「地球上で最大の深刻な核惨事」だった(約二千万キュリーが周囲の環境に放出され、最も汚染の激しい約千平方キロメートルからは一万一千人の全住民が避難させられた)。ただしチェルノブイリの事故が起こる前までは、である。ソ連当局がクイシュトゥイム事故を公式的に認めたのは、チェルノブイリ事故の数年後の一九九〇年になってからである。それまで、この「ウラルの核惨事」は、情報源が限られていたため国際原子力機関の公式リストに登録されず、登録されてからは、チェルノブイリと福島がレベル七、クイシュトィムがレベル六、スリーマイル島がレベル五となった(東海村JCO臨界事故はレベル四)。

 このように公式的に認知されるまでの間の限られた有力情報源が、ジョレスの『ウラルの核惨事』だった。しかも同書は、何か秘密情報を入手して書かれたのではなく、すでに公開されていた論文やデータにおける欠落や不自然さを補う形での「科学的推理」にもとづいて書かれた。例えばジョレスによれば、ソ連では動植物の放射線生態学についての多種多様な論文が公表されていたが、その中にはウラルの汚染ゾーンに関するものもある。そうした様々な研究の中で、発表されなかったのは何であったのか、欠落やおかしな点は何かということにも注意する必要があったという。

 興味深いのは、ジョレスが一九七六年に初めてイギリスで「ウラルの核惨事」について報告した後、それが英米の原子力専門家によって「科学的ファンタジー」、「作り話」、「意図的なデマ」などとして退けられたことである。東西冷戦下で、ソ連で起きてはならないような事件、事故が起きたということになれば、それは西側による反共宣伝の恰好の材料となったはずである。ところが、こと原子力事故に関しては、そうではなかった。これについては、本書で「解題」を執筆している佐々木洋氏が、ソ連ほか米英(日)の「国際原子力村」という言い方をしているが、当時から「国際原子力村」は、ジョレスの「ウラルの核惨事」の報告を単に根拠薄弱と退けるのみならず、自国の反核運動が広がったり、放射能の影響に対する国民の不安が増大するのを恐れ、真相究明が進んではならないと考える点で利害が一致していたのである。
 本書には、一九七〇年代に書かれた『ウラルの核惨事』のほか、一九九〇年代以降に書かれたいくつかの論考も収められており、ゴルバチョフのペレストロイカとグラスノスチがチェルノブイリ事故の直後に出現したことに改めて注意を喚起しており、チェルノブイリがなければ、ウクライナとベラルーシが性急に独立と連邦解体に突き進むことはなかったであろうとまで言っている。原子力事故が二〇世紀最大の国家をもメルトダウンさせた例であるが、このことは福島原発事故を経験した日本にとっても他人事ではない。ジョレスは一九八七年に来日した際、とある原子力関係の重鎮に「日本ではなぜチェルノブイリの惨事に関心がないのか」と質問をぶつけてみたという。返ってきたのは「私たちの国ではそのような事故が起こることはありません」という自信に満ちた答えだったという。しかし、「レベル七」でチェルノブイリと肩を並べるようになった私たちの国で、ソ連で時折発生した「ゾーン」(何か生態学的悲劇によって立ち入り禁止となった区域で、タルコフスキーの名作『ストーカー』を観たことのある人はピンとくるだろう)が生まれたことは、やはり今までのシステムの危機を抱え込んでいることを暗示せざるを得ないだろう。


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