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「支那」という漢字が生まれた理由--宮脇淳子 2022;10 [ユーラシア・東]

歴史から中国を観る  34  藤原書店 「機」№367
 「支那」という漢字が生まれた理由
宮脇淳子 みやわき•じゅんこ /東洋史
日本は戦前、お隣を「支那」大陸と呼び、今の中国人を「支那人」と呼んだ。戦後、「支那」は蔑称だ、と蔣介石の抗議を受けた日本人は、「支那」も「チャイナ」もすべて「中国」にしてしまった。十九世紀まで一中国」という国家はないから、これは政治的忖度である 。 日本で「支那」ということばが使われるようになったのは、江戸時代である。
 一七〇八年、イタリアのシチリア島生まれの宣教師ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが、日本にキリスト教を布教しようとして、侍の姿をして、今のフィリピンのマニラから屋久島に一人で上陸した。
 もちろん怪しまれてすぐに捕まり、長崎に送られたあと、翌年、江戸に護送され、小石川のキリシタン屋敷に幽閉されたまま、一七一四年に死んだ。
 江戸でシドッティは新井白石の尋問を四回受けた。白石は、彼の学識や人柄に感心して敬意を持って遇し、彼から聞いた話にもとづいて、『采覧異言ランゲンイゲン』と『西洋紀聞』を書いた。
 新井白石は、それまで「漢土カンド」や「唐土トウド」と呼んでいた土地が、ヨーロッパで「チーナ」と呼ばれていることに着目し、漢訳『大蔵経ダイゾウキョウ』にある「支那」と同じことばであることに気づいて、それから「支那」が使われるようになったのである。
 「支那」も「チャイナ ( C h i n a )」も、紀元前二二一年に中原を統一した始皇帝の「秦シン」が語源である。
 私は長い間、なぜ漢訳仏典の翻訳者たちが、自らの歴史的王朝名「秦」の読み音「チーナ」を、「支那」などという、意味のない、つまらない漢字で表したのか、疑問に思っていた。
 船山徹『仏典はどう漢訳されたのか』 (岩波書店 )に拠ると、梵語からの音訳には、漢字それ自体の意味にとらわれないため、意図的に意味のとれない文字のならびを選択するか、意味的には好ましくない字を使用する場合があるということで、「仏陀」も「支那」も、それだと知り、積年の胸のっかえが下りた。 
■編集部からのメッセージ.jpg
■編集部からのメッセージ
 この分野初の概説書で,海外の研究者から注目されることも必至です.キケロ以来の欧州の翻訳理論史に比べて,仏典翻訳は分量的に聖書の翻訳をはるかに凌駕するにもかかわらず,充分な注目を得られていませんでした.
 中国において仏典の翻訳は,後漢時代から北宋までの千年にわたって連綿と続きました.宗教文献に現れた異文化の事象を中国特有の文化的要素も用いながら移し替えていくにあたっては,様々な葛藤と先駆的な試みがありました.たとえば,サンスクリット語の「スートラ」を,繊維の縦糸を意味していたに過ぎない「経」と訳すことから冒険であり,そしてそれは今日まで引き継がれています.
 鳩摩羅什や玄奘の,翻訳可能性/不可能性をめぐっての論は現代にも通用します.また,サンスクリット語で仏典を口述するインド人僧(訳主),訳主の朗読に間違いが無いか点検する係(証文),サンスクリット語を中国文字で音写する係(筆受),中国語の語順に合わせて語句を入れ替えて行く係(綴文),中国語としてより滑らかになるように文章に手を加えていく係(潤文官)…という流れ作業での翻訳の仕方も大変面白いものです.
目次
はじめに――東アジアの中の仏典
第一章 漢訳という世界へのいざない――インド,そして中国へ
第二章 翻訳に従事した人たち――訳経のおおまかな歴史
第三章 訳はこうして作られた――漢訳作成の具体的方法と役割分担
第四章 外国僧の語学力と,鳩摩羅什・玄奘の翻訳論
第五章 偽作経典の出現
第六章 翻訳と偽作のあいだ――経典を“編輯”する
第七章 漢訳が中国語にもたらしたもの
第八章 根源的だからこそ訳せないもの
第九章 仏典漢訳史の意義
参考文献
年表
あとがき
索引
タイトル 仏典はどう漢訳されたのか
副書名 スートラが経典になるとき
著者名1 船山 徹 /著  
出版者 岩波書店
出版年 2013.12
ページ数 16,284,10p
大きさ 20cm
新潟市立図書館収蔵 中央ホンポート館 /183/フナ
ISBN 978-4-00-024691-0
著者紹介1-1 1961年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程中退。同大学人文科学研究所教授。中国中世仏教史とインド仏教知識論を中心に仏教史を多角的に研究。共著に「高僧伝」など。


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