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迷えるキリスト者=椿氏を批判する③ 公開質問状 昭和57年 [新潟水俣病未認定患者を守る会]

く被害者の救済か、切捨てか 迷えるキリスト者=椿氏を批判するく>③
                                                 高  見     優
(1)は じ め に・・・・・①
(2)患者サイドに立つ (1965年~1973年)・・・・①
(3)立場をかえる(1973年~)・・・・②
(4)椿氏の現在の立場と考え方
  さて、今回の「回答」に椿氏が添えた三編の論文を検対してみよう。いずれもキリスト教関係の出版社の雑誌等に掲載されたものである。
 (A)「イエスの癒し」について(「婦人の友」82年.7号 婦人の友社)
   サブタイトル「意志と信仰のはたらき」と題するこの文章は、聖書のヨハネ・福音書第5章
5~9の「ベテスダの池の物語」の紹介からはじまる。
池の水が吹き出す(間けつ泉)時に、一番最初に池に入った人は病いが治るという迷信を信じて多くの患者が池のまわりに群がっていた。そこに38年もの間、一番乗りを果そうと横たわっていた人に、イエスが、運にまかせるような弱さを捨てて「起きて自分の力で歩きなさい」と言うと、すぐに病いが治ったという物語である。椿氏は、これをうけて「医学は科学であるが医療は単なる科学ではない。医療従事者の信仰に結びつけられた愛の力と患者の信仰一意志が本人を救う」という趣旨のことを述べている。そして、最後に一言つけ加えている。ここでは、これが一番重要だ。
 「-ベテスダの池は今日の社会の一面を象徴していないだろうか。現代の社会には、よりよい地位、より多くの富を得るための池があり争ってその池に入ることを望むという傾向はないだろうか。池に入ることよりも………、(イエスの癒しの中の)あの人の体験をもう一度かみしめたい、と思うのである。」

 (B)「寿命と医学」対談(椿氏と住谷馨氏)(「明日の友」82年冬号 婦人の友社)
 「医学によって治らない病人にも医療はほどこせるという信念が大切だ」(椿氏、以下同じ)「恥しいことだが大学にいる頃は深く考えなかったけれど、在宅医療が必要だと知った」「都立神経病院では地域の主治医・看護婦・ケースワーカーなどと在宅ケアに力をいれている」「今の医療制度では不十分」「神経の病気は500種くらいあり、治らない病気(難病)もある」「私は神様から頂いた生命を大切にしたい」
 ここでは治療に専念する氏の姿があり、医療制度についても言及する。

(C)「生命の尊厳」をめぐって(「教会婦人」81年10月、全国教会婦人会連合)
 「医師はあくまで患者の生命を守る」「人間の生命の尊厳は平等である」「医者はいかに努力しても患者や家族の苦しみを負うことはできない」「(医療における)精神的努力には限りがない」「「心の癒し』を実践したい」「広島原爆で死んでいく人を治療した経験がある」「公害反対の弁護士が自動車にのっていたり……」「タバコも公害」
 「私は公害をなくすためには、一人一人がエゴを捨て、他人のためを考えることから始めなければならないと思う。」としめくくっている。
 椿氏は自らの立場、考え方の弁明をしようとしている。
 たぶん、椿氏は「心優しき善良」な人物なのだろう。東京に移ってからも氏は、たまに新潟に来たとき、新潟海岸のぐみの木が年々減っていくことを知り、新潟日報に投書して「ぐみの木を守ってほしい」と訴えたことがある。3編の文章を見ても神経病院の患者を思う気持はそこいらのふつうの医師以上のものがある。科学者でありかつキリスト者として愛をもってそこの患者に接しようという姿勢は充分うかがい知れるし、そこの患者にも喜ばれているようだ。
 しかし、「地獄への道は善意に満ちている」という先人の言葉もある。

 新潟の水俣病患者から聞く椿医師の評判は実にこれと全く正反対なのだ。ある患者は、椿氏から「そんなに認定されたいのかー」と、金目当ての詐病あつかいにされたと、くやしそうに語る。漁協の役員のある患者は「魚を食べたといってもいくらでもないでしよう」と言われたという。新潟では椿氏は患者からヤブ医者呼ばわりまでされている。
 一方、椿氏は、このような新潟水俣病患者を先の「イエスの癒し」の最後につけ加えたように争ってベテズダの池に入ろうとしているといって非難しているのだ。
 一体どちらが椿氏の本来の姿なのだろうか。

 10年前、県議会(1974年 前述)で椿氏は、「こんなに苦しい仕事をやるのはいやだ」と述べ、認定審査のやり方を変更した心境についても語っている。それによると、公害患者を何とか救済しようと思った氏は、どんどん症状をひろっていき、他の病気であるということが明らかにならない限り、汚染魚を食べた人で一定の症状があらわれておれば積極的に水俣病だと公害認定していたようだ。ところか、中毒患者のピラミットの図のすそ野の方にまで下がっていったとき従来の水銀中毒の症候群からはかなり違ったものになってきた。椿氏は「水俣病以外の神経の患者を診ているが仮りに阿賀野川の魚を食べていたら我々はどう診断するだろうか。逆に阿賀野川の魚を食べている人について、もし食べていなかったら……」(県議会発言、以下同じ)と不安になり「これは無限に拡げていくと日本人全部が水俣病といっても不可能じゃない-」などと考えはじめたらしい。つまり、従来の医学診断学の常識では考えにくい状況に入っていったとき、学界内の批判を恐れ出したのだ。その頃、第3水俣病事件の騒ぎで彼は”日本の混乱を何とかしなければ‥….”と秩序がこわれる危機意識をもったのではないかと私は思う。それは、体制側の人間特有のものであるが、先の武谷氏の「医者の特権意識」という批判のとおりだろう。

 患者さんや我々だって、何も日本人全部水俣病だなどとは一言も言っていない。阿賀野川流域や水俣、有明などのわずか(といっても大勢だが)数万の人間の中で症状を訴え、他の原因が明確でないものに限って救済せよと主張しているだけだ。
 椿氏は、この時点で自ら政治的判断をして「純医学」に舞い戻ってしまった。氏は、政治的圧力はなかったと云っているが、その圧力をかけるまでもなく、氏自らが悩んで世の常識=秩序にすり寄っていったのだ。
 又、氏の思想的限界であると考えられるが、公害問題を個人レベルの意識変革の問題のみに帰してしまっている。その思想上の弱点は、氏の科学に対する考え方にも現われている。即ち、数十ミリグラムで中毒になるという猛毒のメチル水銀を、総水銀で5トンも阿賀野川にたれ流したケースは史上なかったし、全く常識を超える量であるのだ。
                             
 この事実がすでに常識をこえており、椿氏が恐れる発症率の異常な高さと不定型の症状の患者群の多さは、ある意味では、科学的に充分ありうると私たちは考えている。これから証明していかなければならないことだ。ある時点からは事実を前にしたとき、従来の権威と常識にたよる余り科学的方法で問題に対処することを怠ったり、現実から逃避してしまっているのである。そしてその部分を埋めるものとしてキリストが必要になってきているように思われる。

(5)カムバック ミスター・ツバキ
  公害問題は、椿氏がいうように個人の意識変革というレベル問題ではない。戦後、最大の公害事件どいわれる水俣病事件は、現在の生産様式と科学技術のあり方から必然的に生み出された結果なのだ。
 その原因への切りこみがなく、椿氏らが果たしている客観的役割に対して改められない限り公害は一層拡大・深化していくに違いない。現に新潟水俣病の加害企業、昭電は「二度と公害はおこさない」と約束したにも拘らず、塩尻で川崎でそして海外でも公害を発生しつづけているではないか。
 田尻宗昭氏は、「公害は、今では排水口や煙突からのタレ流しといった外科的症状からより構造的な全身症状へとすそ野を広げつつある」「その象徴は大規模開発で甚大な環境破壊をもたらすだけでなく、激しい対立を引きおこし、地域社会を根底から揺さぶっている。」「札束がとびかい、ぬぐい難い人心の荒廃が生まれている。」と述べている。(「海と乱開発」岩波書店)そのとおりだと思う。

 椿氏は、この現状をどう考えているのか。氏が専門家として社会に果すべき責任は、専門家としての力を被害者の救済のために尽すことであって、決して加害者のために力を行使することはない。
 氏の医療に対する考え方を新潟の地でも実践すべきである。審査会で医師として行動しているというのなら、主治医に対しても患者に対しても治療をほどこし、方針を与え、そのことを行政が怠っているなら積極的に提言すべきであり決して棄却患者を放置しておく現状を許してはおけないはずだ。
 もちろん一人の医者に全ての責任を押しつけるわけにはいかない。しかし、椿氏はその実績と社会的地位・立場からそれだけの力があり、今でも新潟水俣病の全被害者と家族は氏に戻ってきてほしいと心から望んでいるのである。
                                               1983.4.20
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