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迷えるキリスト者=椿氏を批判する① 公開質問状 昭和57年 [新潟水俣病未認定患者を守る会]

く被害者の救済か、切捨てか 迷えるキリスト者=椿氏を批判するく>①
                                                 高  見     優
(1)は じ め に
  今回の審査会の「回答」は、実質的には椿忠雄会長が一人で書いたものであろう。内容上からも、数人の審査委員の「私は回答しようと思っていたが、椿先生の方でまとめて出されるという ので私は出しません」との発言、そして「回答」の表書きの追伸「私の医療に対する考えの一端をおくみいただくため……」という書き方から見てもこのことは間違いないと思われる。(ただ し、各委員は椿氏の回答を見せられて同意はしたものと考えられる)
  「回答」の内容を見ていくと、椿氏の様々な「顔」が見えてくる。即ち、「医師」「行政官」「政治家」「哲学者」「企業擁護者」「自信たっぶりの専門家」そして「キリスト者」等々……
  何故、一人の人間がこのように様々な顔をもち、私たちに向かってくるのか。それは恐らく椿氏が、かつては患者サイドに立つ人であったことがあり、現在はそれに敵対する立場にいるという両極端の立場を経験しているためであろう。そして、そのことが氏の内面にも影をおとしているのであろう。

(2)患者サイドに立つ (1965年~1973年)
  1965年6月12日、椿氏らは新潟水俣病発生を公表した。東大の気鋭助教授だった椿氏は、新潟大学神経内科の教授に推され、同年1月頃には時々新潟に来ていた。その頃、ある筋から水俣病らしき症状の患者を紹介され診察している。同じ頃、N健診機関のI医師が阿賀野川流域の住民検診でやはり水銀中毒らしい患者を発見している。 I医師が椿氏に話したところ椿氏は、「体温計の水銀でも飲んだのではないですか。ハハハ…」と言われたという。「あのとき、私もしっかり追跡しておれば、今頃有名になったかも知れないナー」と、語っていた。(実は、このエピソードにおける一般開業医などの初期情報の重要性は一つの教訓だと思うのであえて紹介した) いずれにせよ、かなり早い時期に相当多くの人が水銀中毒患者に気づいていたのだ。
  実は、椿氏自身も遅くとも1965年1月にはハッ牛リと水銀中毒の発生を確認していたようだ。
 新潟大学医学部で椿教授に指導を受けたというM医師(キリスト者)は、「学生のとき、椿先生が『実は水俣病についてはかなり前にわかっていたんだが、それをすぐに発表すると大問題になるので、充分手をうってからにしようと発表を遅らせた。』と言ったので「先生はキリスト者でもあり、しかも医師なのだから、患者の救済のためにはすぐに発表すべきだったのではないか。社会的な配慮は行政の仕事ではないのか。」と質問をしたら『いや、あの時の判断は、あれで正しかったと思っているjと答えたことがあった。」と述べている。椿氏の水俣病問題の苦悩は、既に18年前の事件発生のときから始まったのだ。
  恐らく、公害が騒がれ、社会問題化する初期の頃は、行政の姿勢にしろ企業の態度も今とは別の意味で強固であったと考えられる。その中で椿氏らは死亡した患者についても開業医のカルテなどによって水俣病と診断(認定)したり、下流に限定されていたようだが疫学的な手法をつかって積極的に患者を見つけ出し医療をほどこすなど、まだ若かった氏は現地に何度も運んだという。
  今回の「回答」で氏は、「(水俣病発生の)家族集積性」についての質問に対して「最初にこの問題を指摘した私どもにこの質問をされることは残念です。」と答えているが、私たちこそ氏に対してこのような質問をしなければならない最近の実態(家族を含め生活の中で診察・診断を全くしていない)を深く憂うる。
  椿氏は、第一次新潟水俣病裁判(1967年提訴-1971年9月原告患者側勝訴―確定)では、患者側証人に立ち、患者の訴えを全面的に支持し、判決当日には裁判所までかけつけ患者らを「祝福」することまでしたくらいだった。
  又、スモン病については、最初にキノホルム薬害説を発表したのが椿氏であったが、この発表に関して氏は、新潟水俣病のときの苦しい経験から「可能な限り思いきって早く発表した」と述べたことがある。M医師への答えにも拘らず、やはり氏としても反省すべきところがあったのではないか。当時、キノホルム説については、時期尚早だとする向きが学界では有力だったという。
  1970年、中央薬事審議会が厚生省に「キノホルム販売中止」を答申したとき、椿氏は「-この答申の決定をきいた時、これでスモンの発生はなくなると思い、涙が流れるのをとめることができなかった」(学術月報26巻9号、1973.12)と述べている。
  以上に見られる勇気ある椿氏が、いつ、そして、なぜ、現在のような立場に移っていったのであろうか。
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